私が絵を描き始めたのは中学校の美術部でした。
顧問の先生は黒川先生(仮名)。
中年の男性の先生でした。
当時は男の先生と言えば職員室でたばこを吸って、どこかくたびれたイメージがありましたが、
黒川先生の黒い大きな目は いつもキラキラとしていました。
あまり上手に描けていない絵でも、頑張って描いていることを必ず見つけて褒めてくれる。
多くの生徒が先生に画力と心を育ててもらったことと思います。
私は恥ずかしいと よく下描きを捨ててしまっていました。
いつも優しい黒川先生でしたが、そういうときは一瞥して一言
「自分のどんな絵も大切にしなさい。いずれ未来の宝になるのだから」
と、たしなめました。
たくさん上手な人はいたので、私の絵なんて大したことないと思い込んでいたのです。
先生の言葉が理解できるようになるのに30年かかりました。
仕事や地域活動で私は子ども達によく絵を描きました。
褒められてもありがたがられたりする度に
「私より上手に描ける人なんて一杯いますよ」と、取り合いませんでした。
コロナ禍を経て、色々な居場所が制限されて、ふと、自分が人と心を繋げるものが
とても少ないことに気づいたとき、私は何もないなと改めて思いました。
しかしそんなとき、不意にあるママ友が何気なく口にした言葉が
私の中で真実を帯びて心に残りました。
「子どもの集いも少なくなったわね。
りんごさん、あなたの絵 うちの子もとても好きなのよ。また見たいって」
そんな言葉が 今このHPに繋がっています。